【阪神】ブリーデンが死去・ラインバックとの活躍を紹介!背番号はあの44だった!

ブリーデンが死去・ラインバックとの活躍を紹介!背番号はあの44番だった OB情報

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こんにちは!ほよです。

悲しいニュースがありましたね、1976年から1978年まで阪神タイガースで活躍したブリーデン氏が5月3日に76歳で亡くなったと報道されました。

 

今回の記事ではブリーデン氏がどんな選手だったのかを紹介しますね。

最後まで読んで頂けると嬉しいです。

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ブリーデン・ラインバックと最強助っ人コンビで活躍!

ブリーデン氏はどんな選手だったのか経歴か見ていきましょう。

 

 

 

  • シカゴ・カブス(1971年)
  • モントリオール・エキスポズ(1972年〜1975年)
  • 阪神タイガース(1976年〜1978年)

 

ブリーデン氏がどんな選手だったのか見ていきましょう。

 

  • メジャーで通算273試合に出場し21本塁打を記録
  • 阪神タイガース入団1年目から40本塁打を放つ
  • ニックネームは「赤鬼」打席に立つ形相からそう呼ばれるようになった
  • 左投げ右打ちと珍しかった
  • 背番号は44
  • 同じ年に阪神タイガースに入団したラインバック氏と最強助っ人コンビと呼ばれた
  • 3年目に怪我で阪神タイガースを退団

 

特に1976年入団一年目は、ブリーデンが40本塁打、ラインバックは22本塁打と活躍した。

 

 

ブリーデンの背番号は44でバースのイメージが強いが、それ以前の44番と言えばブリーデンだった。

 

ブリーデンとラインバックが入団した1976年は、ラインバック22本塁打、田淵幸一39本塁打、ブリーデンが40本塁打、掛布雅之が27本塁打と破壊力抜群の打線だったが優勝は出来ませんでした。

2ゲーム差で巨人が優勝しました。

当時の巨人はやはり強かったのでしょうね。

 

ブリーデンさんのご冥福をお祈りいたします。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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