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こんにちは!ほよです。
悲しいニュースがありましたね、1976年から1978年まで阪神タイガースで活躍したブリーデン氏が5月3日に76歳で亡くなったと報道されました。
今回の記事ではブリーデン氏がどんな選手だったのかを紹介しますね。
最後まで読んで頂けると嬉しいです。
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ブリーデン・ラインバックと最強助っ人コンビで活躍!
ブリーデン氏はどんな選手だったのか経歴か見ていきましょう。
「赤鬼」ブリーデンさん死去 田淵、掛布らと強力阪神打線形成 来日1年目76年に40発― スポニチ Sponichi Annex 野球 https://t.co/6b97AgeK6I
— スポニチ野球記者’21 (@SponichiYakyu) May 12, 2021
- シカゴ・カブス(1971年)
- モントリオール・エキスポズ(1972年〜1975年)
- 阪神タイガース(1976年〜1978年)
ブリーデン氏がどんな選手だったのか見ていきましょう。
- メジャーで通算273試合に出場し21本塁打を記録
- 阪神タイガース入団1年目から40本塁打を放つ
- ニックネームは「赤鬼」打席に立つ形相からそう呼ばれるようになった
- 左投げ右打ちと珍しかった
- 背番号は44
- 同じ年に阪神タイガースに入団したラインバック氏と最強助っ人コンビと呼ばれた
- 3年目に怪我で阪神タイガースを退団
特に1976年入団一年目は、ブリーデンが40本塁打、ラインバックは22本塁打と活躍した。
前阪神・ブリーデン氏が死去 さらば赤鬼…ラインバックと「史上最強」コンビ https://t.co/jFd0ZtLva5
— 代官しとろ (@sono1153) May 12, 2021
ブリーデンの背番号は44でバースのイメージが強いが、それ以前の44番と言えばブリーデンだった。
ブリーデンとラインバックが入団した1976年は、ラインバック22本塁打、田淵幸一39本塁打、ブリーデンが40本塁打、掛布雅之が27本塁打と破壊力抜群の打線だったが優勝は出来ませんでした。
2ゲーム差で巨人が優勝しました。
当時の巨人はやはり強かったのでしょうね。
ブリーデンさんのご冥福をお祈りいたします。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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