星野監督の阪神タイガース優勝までの2年間を振り返ってみた!

星野監督の阪神タイガース優勝までの2年間を振り返ってみた! OB情報

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こんにちは!ほよです。

 

2018年1月4日に70歳で亡くなられた星野仙一氏の、阪神タイガースでの監督としての2002年から2003年までの2年間を振り返ってみました。

 

2001年までは野村監督が3年間、阪神タイガースを指揮しましたが結果は3年連続で最下位になり、野村監督はシーズン途中で自分では低迷している阪神を立て直しする事は難しいとまで考えていました。

 

野村監督が思いついたのは負け癖のついている阪神を再建出来るのは、考える野球の自分ではなく、超熱血指導の星野仙一がふさわしいと思いオーナーに推薦し、星野タイガースが誕生することになりました。

 

当時阪神タイガースファンの僕が思ったのは、今までの阪神の監督といえばOBが当たり前でしたが

野村克也、星野仙一と連続でOB以外の起用となって何かが大きく変わる期待があったのを記憶しています。

 

星野タイガースが2年間どの様な戦いをしたのか見ていきましょう。

最後まで読んで下さいね。

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星野阪神1年目(2002年)

それではまず星野阪神の1年目のセリーグ順位はどうだったのかを見ていきましょう。

2002年のセリーグ順位

 

チーム 試合 引分 勝率
巨人 140 86 52 623
ヤクルト 140 74 62 544
中日 140 69 66 511
阪神 140 66 70 485
広島 140 64 72 471
横浜 140 49 86 363

最下位は脱出しましたがAクラスにはなれず、悔しいシーズンでしたね。

 

2002年の開幕スターティングメンバー選手成績

では次に開幕スタメンした選手の個人成績を見ていきましょう。

 

打率 本塁打 打点
赤星憲広 252 12
今岡誠 317 15 56
片岡篤史 228 11 46
アリアス 258 32 82
桧山進次郎 293 13 61
坪井智哉 250
矢野輝弘 321 27
藤本敦士 209
井川慶 141
開幕投手 井川慶 14勝9敗 防御率  2.49

オフにFAで日本ハムから片岡篤史、オリックスからアリアスを獲得して攻撃力アップをすることに成功して開幕7連勝と完璧な滑り出しでした。

5月、6月も首位だったので、このまま優勝するのではとかなり期待していましたが、その後故障者が続出し結果的には4位で終わり、ファンとしても悔しいシーズンでしたね。

 

ただ、星野監督が就任してから若手選手の活躍が目立つようになり、その中でも濱中治打率301本塁打18本打点51と成績を残しました。

 

今岡誠もかなり才能があると言われつつも、野村監督時代は思う様な成績を残せず埋もれてしまったいましたが、星野監督の元で開花しました。

 

オフには広島からFA宣言していた金本知憲を星野監督自ら口説いて獲得し、日本ハムからは下柳剛中村豊も入団しました。

テキサス・レンジャーズを自由契約になった伊良部秀輝も獲得し、大型補強に成功しました。

 

星野監督の阪神タイガースを「必ず優勝させる」という熱い思いが、相手選手にも伝わり多くの選手が移籍してきました。

 

その中でも金本知憲の獲得は大きく、来シーズン以降阪神タイガースにかなりの影響を与えていくことになります。

 

ファンとしては、星野監督の阪神タイガースを強いチームにするという気持ちが伝わり、更に期待していたのを記憶しています。

 

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星野阪神2年目(2003年)

昨シーズンの4位からの巻き返しは出来たのでょうか。

星野阪神の2年目のセリーグ順位を見ていきましょう。

2003年セリーグ順位

 

チーム 試合 引分 勝率
阪神 140 87 51 630
中日 140 73 66 525
巨人 140 71 66 518
ヤクルト 140 71 66 518
広島 140 67 71 486
横浜 140 45 94 324

圧倒的な強さで、1985年以来18年ぶり8度目のリーグ優勝に輝きました。

それにしても強かったですね。

 

2003年の開幕スターティングメンバー選手成績

では次に開幕スタメンした選手の個人成績を見ていきましょう。

 

打率 本塁打 打点
今岡誠 340 12 72
赤星憲広 312 35
金本知憲 289 19 77
濱中治 273 11 48
桧山進次郎 278 16 63
アリアス 265 38 107
矢野輝弘 328 14 79
藤本敦士 301 36
井川慶 129
開幕投手 井川慶 20勝5敗 防御率2.80

 

金本が加わった事で打線が繋がり、更に今岡赤星藤本ら若手選手が急成長して、前半から首位を独走し優勝を決めました。

ファンの僕としては、この年の阪神タイガースは強くて、安心して試合を見ていたのを記憶しています。

投手陣では、井川慶最優秀防御率(2.80)、最多勝(20勝)、最高勝率(800)、沢村賞も受賞しました。

 

打撃陣では今岡誠首位打者(340)初受賞して、赤星憲広61盗塁で3年連続で盗塁王に輝きました。

ベストナインにも井川慶(投手)、矢野輝弘(捕手)、アリアス(一塁手)、今岡誠(二塁手)、赤星憲広(外野手)と5名の選手が選ばれ素晴らしい活躍でした。

 

攻撃パターンとしては、まず今岡赤星が出塁して金本がつなぎ役に徹して、4番5番で得点して更にアリアスの一発でダメを押すという試合が多くあった印象が残ってます。

リーグ優勝も果たし、このまま常勝軍団として星野阪神が続くとファンみんなが期待する中、日本シリーズ開幕前日に、シリーズ終了後の星野監督の勇退が発表されました。理由は体調不良の為ということで心配しましたが、なぜこのタイミングなのかと不思議に思いました。

 

この発表が日本シリーズでの戦いにマイナスに働くような感じがして、嫌な予感しかありませんでした。

それでも1985年以来の日本シリーズは楽しみでしたね。

 

ちなみに1985年阪神の日本シリーズは対西武で、下馬評で圧倒的な阪神不利と言われていましたが見事4勝2敗で日本一に輝いています。

2003年日本シリーズ

それでは日本シリーズはどの様な戦いだったのかを見ていきましょう。

 

対戦相手はパ・リーグペナントレースで82勝55敗3分と圧倒的に強かった、王監督が率いる福岡ダイエーホークスでした。

 

2003年日本シリーズ

 

阪神タイガース VS 福岡ダイエーホークス
第1戦 福岡ドーム 4−
第2戦 福岡ドーム 0−13
第3戦 甲子園球場 −1
第4戦 甲子園球場 −5
第5戦 甲子園球場 −2
第6戦 福岡ドーム 1−
第7戦 福岡ドーム 2−

 

第7戦まで、もつれた見応えのある日本シリーズでした。

結果は3勝4敗で福岡ダイエーホークスに敗れました。

互いにホーム球場で全て勝利という珍しい結果となりました。

甲子園球場の3連勝で流れは阪神と期待もふくらみましたが、当時のダイエーは強かったですね。

悔しい気持ちもありましたが、試合内容も楽しく納得のいく敗戦だったのを記憶しています。

 

日本シリーズの後、体調不良で星野監督は勇退し、2004年からは阪神のシニアディレクターに就任しました。

星野監督の指揮を見ることが出来ないのは残念でしたが、勇退後も阪神タイガースの関係者として関わってもらえる事は阪神ファンの僕としては心強かったですね。

 

まとめ

今回は星野阪神の2年間についてまとめてみました。

  • 野村克也氏がオーナーに星野仙一氏を推薦し、星野阪神が誕生した
  • 星野監督の指導力で多くの若手選手の才能が開花し、その中でも成績が伸び悩んでいた今岡誠が球界を代表する選手に成長した
  • 星野監督自ら、金本知憲を口説き落としてFAで獲得し、2003年のリーグ優勝の原動力となった
  • 日本シリーズ進出しましたが接戦の末、福岡ダイエーホークスに3勝4敗で敗れる
  • 2003年の日本シリーズの後に体調不良の為に勇退し、その後2004年に阪神のオーナー付シニアディレクターに就任した

星野仙一氏が阪神タイガースの監督になったのは本当にファンとして驚きました。

熱血的な指導は負け癖のついた阪神にピッタリ合い、見事リーグ優勝に導いてくれましたね。

ファンとしてインパクトのある星野阪神の2年間だったと思います。

では最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

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