野村監督の阪神タイガース3年連続最下位を振り返ってみた!

野村監督の阪神タイガース3年連続最下位を振り返ってみた! OB情報

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こんにちは! ほよです。

 

2020年2月11日に野村克也氏が享年84歳で亡くなられました。

これはプロ野球ファンにとっては大事件でした。

ヤクルトスワローズの監督としての実績

  • 9年間で4度のリーグ優勝
  • 3度の日本一

輝かしい実績を残し、1999年に退団した翌年に阪神タイガース監督に電撃就任したわけですが

当時の阪神はというと、超がつくほどの暗黒時代で、野村ヤクルトにいつもコテンパンにやられていたんですよね。

阪神ファンの僕としては就任が決まった時は正直複雑で微妙な気持ちでした。

しかし、あの万年Bクラスのヤクルトを常勝軍団にした野村監督でしたので、すがるしか無かったのも事実です。

今回は野村克也氏が阪神タイガース監督として過ごした1999年〜2001年の3年間の成績についてをまとめてみました。ぜひ最後まで読んで下さいね。

 

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野村阪神1年目(1999年)

就任1年目となった1999年について見ていきましょう。

 

1999年のセリーグ順位

 

 

チーム 試合 引分 勝率
中日 135 81 54 600
巨人 135 75 60 556
横浜 135 71 64 526
ヤクルト 135 66 69 489
広島 135 57 78 422
阪神 135 55 80 407

今まで通りの最下位でした。

さてどんな選手がいたのでしょうか。

 

1999年の開幕スターティングメンバー選手成績

 

打率 本塁打 打点
坪井智哉 304 43
和田豊 302 23
大豊 341 18 39
ブロワーズ 251 10 43
ジョンソン 253 20 66
今岡誠 252 39
佐々木誠 273
矢野輝弘 304 27
藪恵壹 6勝16敗 防御率 3.95

このメンバーでは、いくら野村監督でもきつかったのではないかと思います。

 

阪神タイガース野村監督の一年目は、ヘッドコーチに松井優典、打撃コーチには柏原純一を、投手コーチには八木沢荘六と野村カラーの首脳陣でスタートして、5月までは首位争いに加わり中日と同率首位に立つなどし、ファンも去年までとは違うチームに生まれ変わったと期待しましたが、6月後半からは打線が機能せずで、投手陣に負担をかけて一気に下位に沈んで行きました。

 

最終的には2年連続で最下位に終わってしまいました。

 

このシーズンの印象に残るシーンは、6月12日対巨人(甲子園)の延長12回に新庄槙原の敬遠球を打ったサヨナラヒットですね。

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野村阪神就任2年目(2000年)

就任2年目となった2000年について見ていきましょう。

2000年のセリーグ順位

 

チーム 試合 引分 勝率
巨人 135 78 57 578
中日 135 70 65 519
横浜 136 69 66 511
ヤクルト 136 66 69 489
広島 136 65 70 481
阪神 136 57 78 422

就任2年目も最下位に終わってしまいました。

正直ちょっとがっかりしましたね。

 

2000年の開幕スターティングメンバー選手成績

 

打率 本塁打 打点
坪井智哉 272 32
和田豊 253 20
タラスコ 239 19 57
新庄剛志 278 28 85
大豊泰昭 253 23 54
矢野輝弘 269 26
今岡誠 212
田中秀太 251 17
星野伸之 5勝10敗 防御率 4.04

2年連続での最下位を抜け出す為に選手補強でFAでオリックスから星野伸之とヤクルト時代の教え子の広澤克実を獲得し、助っ人外国人ピッチャーでハンセル、打者ではタラスコを獲得と、着実に野村カラーの強いチームになってきました。

 

息子のカツノリがヤクルトから移籍したのも、この年でした。

 

前年同様に開幕は良いスタートを切って、4月終了時点では、首位に2ゲーム差の2位に付けていました。

しかし5月以降は投打が噛み合わず、借金生活が続き結果的には3年連続での最下位となってしまいました。

 

投手陣では、星野川尻ハンセルとローテーションは守ったものの大きく負け越し、打順の固定ができていなかった打撃陣が足を引っ張る形となりました。

 

この年の印象的な出来事として、4番に起用され自己最高の成績を残した新庄が、球団からの5年12億の提示を断り、ニューヨーク・メッツに移籍したことです。

型破りの新庄ならではの、選択だと思いましたね。

野村阪神3年目(2001年)

 

2001年のセリーグ順位

このシーズンは勝利数優先で順位が決まっていました。

 

チーム 試合 引分 勝率
ヤクルト 140 76 58 567
巨人 140 75 63 543
横浜 140 69 67 507
広島 140 68 65 511
中日 140 62 74 456
阪神 140 57 80 416

野村監督就任3年目も最下位でした。

なぜか開幕前から期待が持て無かったですね。

 

2001年の開幕スターティングメンバー選手成績

 

打率 本塁打 打点
平下晃司 174
上坂太一郎 253 24
坪井智哉 219 11
クルーズ 234 14 34
ペレス 222 19
矢野輝弘 242 30
今岡誠 268 40
沖原佳典 197 14
星野伸之 1勝2敗 防御率 4.60

この成績はヤバイですね。

 

このシーズンは開幕から黒星が先行して、6月以降は最下位が定位置となり、全く見せ場なく終わりました。

 

クルーズペレスの新助っ人も成績がふるわずで、選手層の薄さが露呈したシーズンでした。

 

ここ数年苦手としていたヤクルトにも、9勝18敗1分と大きく負け越して、相性の良かった広島にも7勝20敗1分と大きく負け越してしまいました。

 

この様なシーズンでしたが、新人の赤星が盗塁王になり、新人王に輝きましたよね。

 

この年から選手会長に就任した桧山も、自身初の3割を記録し、投手陣では井川が9勝13敗退と負け越しはしましたが防御率2.67と成績を残して明るい兆しもありました。

 

翌年以降も野村監督の続投は決まっていたが、野村沙知代夫人が脱税容疑で逮捕されたことで、辞任を発表されました。

チームの再建を託されたが、3年連続で最下位という結果で野村阪神タイガースは幕を閉じることになりました。

 

この年の印象的な出来事としては、和田豊の引退と、新監督に前中日監督の星野仙一が就任した事でした。

まとめ

今回は野村監督の阪神タイガースの3年間を振り返ってみました。

 

  • 阪神ではヤクルトを常勝軍団にした様な実績は上げる事が出来なかった
  • 阪神は超人気球団であった為に選手のプライドも高く、マスコミを利用し、ぼやきながら叱咤するやり方は浸透しなかった
  • 井川赤星など、その後に活躍する選手を育てるなど、チームの基礎作りは出来た

沙知代夫人の逮捕がなく、野村監督の4年目のシーズンはどうなっていたのかなと思う時があります。

 

では最後まで読んでいただきありがとうございました。

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